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2013年 05月 10日
目撃者を探しています! 5/10 追記
原田です。

皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。
ツイッターでは 2882名の方々にフォローして頂き、フェイスブックでは 1179名の方々と友人になることができました。

今年1月24日に、ジャーナリストの寺澤有氏が【本当にワルイのは警察】(宝島SUGOI文庫) 新7章 【国賠訴訟で警察と闘う人々】に、 「痴漢冤罪で自殺した息子のために闘う母親」 をご搭載下さいました。
また、4月には、元道警釧路方面本部長の原田宏二氏が【警察崩壊ーつくられた“正義”の真実】(旬報社) 第4章に、 【国賠訴訟ー誤りを認めない警察 新宿痴漢冤罪事件】として、息子の事件をご登載下さいました。
P.224 には、当時の新宿署黄海副署長のご説明 「(息子さんを犯人と特定する)物証はないです。」等の記録をご掲載いただきました。


皆様に今日は、寺澤有氏の【本当にワルイのは警察】(宝島SUGOI文庫) 「痴漢冤罪で自殺した息子のために闘う母親」 をご紹介しようと思います。

(本文から)
まず紹介するのは、原田尚美(56歳)さんだ。原田さんは息子の信助さん(当時25歳)が、2009年12月10日深夜に、JR新宿駅構内で痴漢と間違えられて、警視庁新宿署へ連行された。信助さんは取り調べで痴漢を否認に、被害女性も「犯人と(原田さんの)服装が違う」としたため、明け方4時ごろには解放されたが、その後、東京メトロ東西線の早稲田駅のホームから電車に身を投げて自殺してしまった。当初はなんの手がかりもなかった尚美さんだったが、信助さんの遺品に、新宿署の警察官の取り調べを録音したICレコーダーがあったことで、国賠訴訟を決意する。
2011年4月26日、母である尚美さんは「警察官の捜査は違法で人権侵害」として、東京都に1000万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。訴状では、「被害者からの説明を聞いて、故原田を被疑者とする痴漢事件はおよそ存在しないことが明らかになっていたにもかかわらず、黙秘権の告知もしないで取り調べ、自宅に電話することや帰ることを認めず、『女性があなたを覚えていた』などと虚偽の説明をして自白を強要した」としている。同年6月14日、東京地方裁判所で読み上げられた意見陳述書を全文掲載するので、まずは読んでみてほしい。

(2011年6月14日第一回口頭弁論:意見陳述書)
 原告の原田尚美と申します。平成21年12月11日早朝、東西線・早稲田駅のホームから線路に身を投げ自殺した原田信助当事25歳の母親です。
 息子は意志の強い努力家で、JAXAに入る時には、一日15時間も勉強していたことを、親友の方から聞きました。
 とても優しい息子でした。子供の頃から母の日には必ずカーネーションを買って来てくれました。社会人になり、初めてのお給料日には、私に肩たたき器を買ってくれました。
 お友達も多かったようで、昨年(2010年)の5月・7月・8月の11日にお別れ会をしたときには、沢山の友人の方にご参列頂きました。

 息子の悲劇は、平成21年12月10日夜、突然やって来ました。
その日の午後11時頃、息子は、帰宅するため、新宿駅構内の地下通路からホームへ上がる階段を上りかけていました。その時、見知らぬ男たちによって突然階下に引き落とされ、殴る蹴るの暴行を受けました。
息子は、「今、暴行を受けている」と、必死で携帯電話から110番通報しました。
 新宿駅西口交番から複数の警察官が駆けつけました。息子は当然、警察官はすぐに自分のいい分を聞いてくれるものと思い、交番についていきました。
 ところが、警察官らは、息子の話を聞かないどころか、奥の部屋に閉じ込め、私に連絡しようと電話を貸してくれるよう頼んでも、聞き入れてくれませんでした。息子が「終電に間に合わなくなる」と訴えても、「あなたは被害者なんだから、署に行って、刑事さんに話さなければいけない」と言って帰らせてくれませんでした。
 息子は、新宿署に行けば、被害を聞いてもらえ、電話を貸してもらえると信じ、パトカーで新宿署に連行されました。

 ところが、午前1時頃から始まった取り調べでは、新宿署の刑事は息子に「痴漢容疑の取調べだ」と言いました。息子はそこで初めて自分に痴漢の容疑がかけられていることを知りました。息子は、自分が一方的に暴行を浮けた被害者であることを説明しましたが、3人の刑事はだれも真面目に聞こうとしませんでした。「もう帰っていい」と言われたのは午前4時頃でした。
 実は、この頃すでに痴漢被害者を自称していた女性は、息子が犯人ではないことを警察に説明していましたが、新宿署では誰もそのことを息子に話してくれませんでした。
 あまりにも理不尽な仕打ちに、息子は冷静な判断力を失い、出身大学である早稲田大学を目指して電車に乗り、地下鉄東西線・早稲田駅に辿り着くと、そこで命を絶ちました。

 これに対する警視庁の酷さは想像を絶していました。
 息子が自殺した49日後の1月29日。警視庁は息子を、「東京都迷惑防止条例違反の被疑者」として、東京区検察庁に書類送致しました。息子が弁解できないことをいいことに、犯罪者として事件処理したのです。検察は「被疑者死亡」で不起訴です。「嫌疑なし」にはしてくれませんでした。
 警察が人の人生、命を弄ぶようなことをしてよいのでしょうか。人間として、親として決して許すことはできません。

 息子の人生は、希望に向かって歩み始めたばかりでした。事件当日は、念願の新しい職場での息子の転職の歓迎会の帰り道でした。
 息子がいなくなり、初めて息子の部屋に入りましたら、部屋中本がいっぱいで、資格試験の参考書が積まれていました。事件の前月には情報処理技術者の資格も取得していました。他にもまだまだ人生で挑戦したいことが沢山ありましたし、「将来、早稲田大学に奨学金をつくりたい」などの夢もありました。
 この度、国家賠償請求訴訟を提訴したのは、息子の名誉の回復のためと、この国の警察の捜査によって息子のような被害者を二度と出してほしくないという心からの願いからです。
 裁判官の皆様には、適正なご判断を仰ぎたく宜しくお願い申し上げます。


 いかがだろうか。自分は暴行の被害者だと思っていた信助さんは、痴漢の被疑者として扱われていたのだ。原田さん側の代理人である清水勉弁護士は「ICレコーダーの録音もあり、事実関係は警察も認めざるをえない」としている。
 2011年4月に始まったこの裁判は、2012年12月現在、8回の口頭弁論が行われたが、様々なことがわかってきている。原田さん側が裁判所を通じて東京地方検察庁からとり寄せた信助さんの不起訴記録だけでも約300枚もある。
 清水弁護士は「警視庁が痴漢被害者をでっち上げて、信助さんを東京地検に書類送致した可能性がある」という。清水弁護士は、「事件当日、痴漢の被害者女性は『信助さんは犯人と違う』と証言し、信助さんは新宿署から解放された。にもかかわらず、40日以上も経った2010年1月26日に被害届が提出されている。通常、このようなことは考えられない。その2日後、新宿署は信助さんを痴漢容疑で東京地検に書類送検し、自分たちの捜査が適正だったという体裁を整えた。送検の必要性から、新宿署が被害届を捏造した疑いがある」と指摘した。
 元北海道警察本部釧路方面本部長の原田宏二氏も数回、裁判を傍聴しているが、
「新宿署は信助さんの事件で『捜査本部を設置した』としている。しかし、痴漢で捜査本部など、ありえない。信助さんが自殺し、新宿署の捜査が問題になるのを想定して、警視庁本部があとづけで様々な体裁を整えさせたのだと思う」と推測している。
 この事件はわりあいマスコミで取り上げられている。2010年12月10日で事件発生から3年経ったが、その翌日の命日にはテレビ局も取材に来ていた。読者にもぜひ関心を持ってもらいたい事件である。


5月5日に、息子に近況の報告に行きましたら、菊とカーネーションの花束が届いていました。
お心遣いに、息子もさぞかし喜んでいることと思います。
2010年4月30日 息子の誕生日に、新宿駅で目撃者探しをしていたところ、【夕刊フジ】の小川記者が、ご取材に来て下さいました。
5月7日に記事をご搭載頂いたので、多くの方に息子の事件を知っていただくことができました。
三年後の、2013年5月7日に、小林邦三郎氏代表の【犯罪被害者家族の会】の広報ご担当者様が、【裁判支援ビラ】をご作成下さいました。
ご支援くださる皆様、本当にありがとうございます。

2009年12月10日に、息子が降り立つはずだったJR駒込駅のツツジが綺麗に花開いています。
この花のように、この国の司法も清々しくあってほしいと願います。

5月20日(月)11時から 東京地方裁判所803号法廷にて、第十一回口頭弁論が開かれます。
清水勉弁護士による報告会は、弁護士会館5階509号室にて開かれます。
皆様のご参加をお待ちしています。


これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。
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by harada-n | 2013-05-10 08:15 | Comments(8)